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藤原京のトイレ問題 〜 歴史 DE エコ シリーズ②

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2008年洞爺湖サミットは別名環境サミット。
温暖化から地球環境を守るための方策や規制合意等が最重要課題とされています。


環境問題は歴史の視点からも様々な考察ができます。
環境の変化や劣化が歴史に与えた影響を無視することはできません。

 

実は今から約1300年前、環境問題に直面した都市がありました。

 

694年に飛鳥浄御原宮から遷都した「藤原京」です

当時の天皇持統天皇


天皇家の絶対権力を象徴するような大都市開発でありましたが、
わずか16年しか続かず、平城京への遷都が行われたのです。

 

なぜなのでしょうか?


その理由として最近クローズアップされているのが、都市の衛生環境問題、


すなわちトイレ問題なのでした!

 


実は意外だと思われるかもしれませんが、古代から藤原京ころまでのトイレは水洗式でありました。
川の多い日本では、汚物を水で流すのはある意味自然であったのです。


「厠=かわや」の語源も「川屋」ではないかといわれています。


そのため都市計画において川の流れや水路の造営は重要な鍵であったわけです。

 

実はこの藤原京天武天皇が、場所を選び、都市計画を立てていたのです。


遷都実行委員長 兼 遷都プロデューサーといえるでしょう。

 


しかも、天武天皇は、このブログでも何度も紹介していますように
占星術や陰陽五行説のエキスパートでありました。

 

日本書紀には、天武天皇が星の運行や方角に大変敏感であったことが記載されています。
藤原京天武天皇が、その英知を傾けて選定した場所なのでありました。

 

しかし、その実現を待たずして天武天皇崩御されました。

 


頓挫しかけた藤原京遷都ですが、夫の遺志を引き継ぎ遷都を実行したのが妻の持統天皇


天武天皇のプランをを尊重しすぎ、陰陽五行の方角を優先してしまい
川の流れを不問にしたのが間違いであったのでしょう。


藤原京大和三山に囲まれ中央を飛鳥川が南北に流れる、いわば「四神相応」の場所であったのです。


そして北が上位で、そこは天皇や貴族たちが住む場所。
南に庶民が暮らす町が形成されたのです。

 


しかし飛鳥川が南から北へと流れています。
つまり庶民の「下のもの」が貴族の屋敷の方に流れてゆく構造になっていたのです。

 

陰陽五行的には完璧ではあっても、川の流れを逆さにするだけで、
都市環境はたちまち悪化するのでありました。

 


最近の発掘調査でも、藤原京は、平城京に匹敵する規模を備えた大都市であったことが確認されました。
人口は10万人を超えていたといわれています。


そんな庶民の大量の「排出物」が貴族の屋敷の中にどっと流れ込むわけですから、
特に雨の日などは大変な悪臭が漂っていたのではないかと想像できます。


悪臭に加えで不衛生この上なく、伝染病の巣窟となったでありましょう。

 

藤原京大極殿(古代朝廷の正殿)には大きくて多分華麗な水洗トイレがありましたが、
そのトイレから悪臭が京の内外に充満するので取り締まるようにという詔まで発せられていました。

 

取り締まれ!と命令されても・・・
川の流れを変えることなどできません。

 

結局、16年で都を捨てて、平城京へ遷都したのではないかと言われているのです。

 

藤原京で懲りたのか、平城京から貴族は水洗式トイレを用いなくなり、
寝殿の中に専用の便所を設けるようになりました。


いわゆる汲み取り式(肥溜)トイレですね。


この風習は結局明治まで続き、西洋の下水道に連結された 近代的な水洗式トイレが導入されたのは
明治7年のことでした。

 

今から1300年前トイレの悪臭に耐え切れなく遷都したとも考えられる藤原京は、
現代都市の抱える問題を検証する上でも重要な遺構であります。


さらにこの都市の造営が別の場所で深刻な環境問題を引き起こしていたことも分かっています。


それは森林伐採による自然破壊です。
恐ろしいことに、1300年たっても破壊された自然は戻っていません。

 


長文になりましたので藤原京の自然破壊についてはまた別途、紹介します!

 

2008洞爺湖サミット勝手にコラボ記事
【歴史DEエコ】
「大江戸・ゴミ事情」

 

【その他参照記事】
「四神」
天武天皇陰陽道


写真:藤原京模型図

 
 
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古代史も好きで、卑弥呼聖徳太子、曽我氏等、あれかれ記事を結構書いてますが、熱くなり過ぎて長文でマニア向け   一般的にはあまり人気もなく
そをな中この記事は、何故かアクセスも多く、古代史関連では、一番人気です。
肩の力を抜いてライトに書いたからかな?
https://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/57194174.html

2008年7月9日午後11:26 Up